History08 of パブリカオーナーズクラブ

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2012-12-20

これ以下ではムリ、これ以上はムダ

一方、実際の販売を担当するトヨタ自動車販売でもUP-10に対応する準備が早くから開始された。当時販売拡張部拡張課で、販売店用マニュアルの作成を担当した須々木昌道氏(現トヨタ部品群馬共販専務取締役)は語る。「あのころ、新車の開発とマニュアルの作成は同時に進められておりました。ですからUP-10の時も、八丁堀にあった自販の東京事務所から挙母の試作工場まで出張して、開発中のボディのドンガラや単体の部品を写真に撮らせてもらいました」もちろんまだ新幹線など内ので往復とも東海号、大和号といった東京~名古屋間に6時間以上もかかる夜行列車を使い、工場での資料収集は数日にわたって行われた。「それでも東京に戻ると結構記録し忘れたところが判明して困ったものです。電話で問い合わせるといってもあのころは交換台を通さなければならないので大変でしたね。そして初めて実際のUP-10をみたときの感想を氏はこう言って笑う。「エンジンルームがやけにがらんとしているので、思わず長谷川主査に”将来直列6気筒でも乗せるのですか?”と質問したのを覚えています。長谷川さんは“当面その予定はないよ”と答えておられましたが」

誇張しないスタイリング

カタログも同様、工場でスタッフが収集してきた写真や資料をもとに、主に社内のイラストレーターによって書き起こされた。当時販売拡張部のアトリエで、カタログの制作にあたっていた濱田氏は語る。「UP-10の頃は、まだ印刷のクオリティーがそれほどよくありませんでした。従って実車の写真よりイラストに頼る部分が多かったのです。それにまだカットモデルなども作ってもらえませんでしたから室内を表現するのにはポスターカラーによる彩色が唯一の方法でした」
また当時のカタログというと、常套手段としてディフォルメ、すなわち米国車のように低く広く描くことが行われ、実際クラウンやコロナのカタログはそのオンパレードであった。しかし濱田氏によればUP10は初めてその誇張をせずに描いたという。「なぜならトヨタ車として初めて実際の車のスタイリングがまとまっていたからです。ですからデフォルメする必要はありませんでした」
そしてカタログコピーも決まった。“これ以下ではムリ、これ以上はムダ”実にUP-10という車を明快に表現したキャッチフレーズだった。

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