History12 of パブリカオーナーズクラブ

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2012-12-20

パブリカ熟成…ニッポンの小型車の進むべき道

翌1966年には大々的なマイナーチェンジが行われ、、UP20型となる。フロントグリルが左右いっぱいに広がり、リアのテールランプが縦型から横型になったそのボディには、790cc 36psのパワーアップされた2U-B型エンジンが組み合わされた。(コンバーティブルはスポーツ800と同じ2U型45PSが積まれた)そしてその後もUP20 型は主に以下のように追加/変更が行われた。

○1967年10月:セダンにコンバーティブル用2U型エンジンを積んだホットモデルのスーパーおよびスタンダードをベースにデラックスのスペシャルを追加
○1967年:従来コンバーティブル専用だったセパレートシートをセダンにも採用。2UB型エンジン搭載の商用車ミニエース発売
○1968年:コンバーティブルのみだったフロアシフトをセダンに設定すると同時に、2バレル・キャブレターで40psを発生する2UC型に発展。

そして1970念を目前に控えた1969年4月、パブリカは2代目のKP30にバトンタッチされた。エンジンの主力は、時代の潮流から水冷直列4気筒OHV1000/1100ccに取って代わったが、2UC型を搭載する800ccのUP30系も設定され、それは新世代パブリカシリーズのベースモデルの役割をその後2年あまりにわたって担った。そして2代目パブリカはマイナーチェンジを経て、1982年にパブリカと統合した2代目スターレットが登場するまで、トヨタフルライン体制のベーシックカーとしての任務を果たし続けた。
ただし、U型エンジンは意外なところでも使われた。そのコンパクトな点が買われ、マイクロバス“ライトバス”およびその後継車の”コースター”のクーラー用パワーユニットとして1977年8月まで余生を送ったのである。
1966年、トヨタがカローラ、対する日産がサニーを送り出したことによって、日本は本格的なマイカー時代に突入した。
カローラの開発には、パブリカの全ての経験が十分生かされていた。オーバークオリティ至上主義からの脱却、高度な工作精度、そして厳密な重量、原価規格は、全てパブリカ開発の過程から学んだことが反映されたのである。さらに最初から大規模な量産を考慮したカローラ専門工場も、パブリカで得た豊富なノウハウが参考にされた。装備もパブリカデラックスを教訓に、ユーザーの要求にかなうものが最初からふんだんに採りいれられていた。販売においてもパブリカで蓄積された経験が大いに生かされたのである。
その結果カローラは、パブリカの1クラス上を狙うにとどまったサニーにあらゆる面で早くから大きな差を付けることができ、バリュー・フォー・マネーの大衆車として日本のみならず世界に羽ばたいていった。
パブリカの後にカローラを手がけた長谷川龍雄氏の言葉がこの物語を締めくくるに相応しい。
「パブリカという車は、カローラ開発の心構えをトヨタに教えてくれたのです」そしてパブリカは、カローラのみならず、日本製小型車の進むべき道を、先だって示した車だったのである。


graph.jpg生産台数グラフtaxy.jpgマカオではタクシーとして使用された

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